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Artist

CHIEF STEPHEN OSITA OSADEBE

Title

GREATEST HITS VOL.2


osadebe2
Japanese Title 国内未発売
Date 1972/1974/1984
Label PREMIER PMCD 006(Nigeria)
CD Release 2000
Rating ★★★★★
Availability ◆◆◆


Review

 アフリカのポピュラー音楽を考えるうえで、意外と見落とされがちだと思うのは「説教を垂れる」というパターンである。もっとも、わたしら日本人がアフリカ音楽を聴くのはリズムなりメロディなりに魅せられてことであって、歌詞の意味がわかって聴いているひとはそうはいないはずだから無理からぬ話だとは思う。コンゴのフランコの晩年とか、ジュジュのエベネザ・オベイとか、LPの片面を丸まる使って、朗々と歌うでもなく、ドラマティックな展開があるわけでもなく、ブツブツブツブツと同じような調子で延々と説教がつづく。
 
 アフリカのポピュラー音楽には歌詞の内容が教訓的なものも少なくないと聞くが、そういう知識なしで聴いても、やはりこれは説教である。説教は「近ごろの若いモンはなっとらん!」とか「ワシの若いころは」とか、年長のオヤジが人生経験という反駁不可能な理屈を盾に自分勝手に暴走するのがツネだから、このさい意味は重要ではない。クドクドとひたすらまくしたてればOKだ。説教は若い者にはいつも「説教がましい」が、これを説教がましく感じさせないのが音楽の力なのだ。「旅行けば 駿河の路に 茶の香り こゝは名におう 東海道」。なぜ、浪曲にまくらがあるのか考えてみれば、なんとなくわかるような気になるでしょ。
 
 それはさておき、わたしがフランコ、オベイとともにアフリカの“三大説教オヤジ”と勝手に呼んでいるのが、このチーフ・ステフェン・オシタ・オサデベである。さすがナイジェリア・ハイライフの大物といわれるだけあって、このオヤジの説教も前のふたりに負けず劣らず強烈である。
 たとえば80年前後に書かれた'SOCIAL CLUB'と称する一連の作品("SOCIAL CLUB SPECIAL"(PREMIER PMCD022)などに収録)。全体に抑え気味のギター、ベース、パーカッションなどによるシンプルで反復的な伴奏にのせて、オサデベは柔らかな口調で淡々と語りかけてくる。そこで、わたしは想像した。'SOCIAL CLUB'とは地方の商工会議所か農協の寄合所のようなもの。そこで「満州はこうだった」とか「サイパンではこうだった」などと戦争の苦労話をペーソスを交えながら語っているにちがいないと。なんでか知らんが、このダレダレ感がミョーに心地いいのである。そして、いつしか「年寄りの話に耳を傾けるのも時には必要だわな」などと得心している自分がいる。
 
「こんな評はミソにもクソにもならん!」との批判をかわすために、ここらですこしオサデベについてふれておこう。
 ステフェン・オサデベは、1936年、ナイジェリア東部の町アタニでイボ人の家系に生まれた。ハイスクール時代にはすでに音楽的な才能を発揮していたかれは、まもなく自分の実力を試すため、南部の首都レゴスへ旅行に出かける。そのおり、本場ガーナへ渡り、「ハイライフの王様」として絶大な人気を誇っていたE.T.メンサーとテンポスのトランペッターとして活躍していたズィール・オニイアに見出され、かれの薫陶を受けてオサデベはミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせた。

 現在、もっとも入手しやすいアメリカのレーベルINDIGE DISCから発売されているベスト盤"SOUND TIME"(INDIGE DISC 495 001)の解説によると、オサデベのハイライフには大きく2つの特徴があげられるという。
 1つは、聴衆が気持ちよくダンスにひたれるように1曲の演奏時間を極端に長くしたこと。レコードでも1曲が3分前後から長くても6分だったのを、70年代はじめにレコーディング技術が革新されると、いち早くLPの片面をフルに使って20分近い演奏を残すようになった。これは当時、ナイジェリアではLPがかなり高価であったため、個人向けというよりダンス・ホールやナイト・クラブでの需要を考慮してのものであったと思われる。
 第2に、これまで500曲以上を作ったとされるオサデベだが、それらの多くには社会諷刺的な視点を盛り込まれてあるという点である。フェラ・クティのように正面から口汚くののしるわけでもなく、またオベイみたく穏和にさとすでもなく、あくまで詩的表現を借りて批評しているのだそうだ。おもしろいと思うのは、80年代になるとかれの詩的表現はついに哲学的世界にまで及ぶようになったという点。このとき、わたしの脳裏をよぎったのはオヤジがよくぶつ人生哲学というやつである。
 
 また、自分をサポートしてくれたパトロンへの誉め歌というのもたくさん作っている。誉め歌を作るのは、伝統的な慣習にのっとったアフリカ全般にみられる傾向で、オサデベにかぎった話ではないし、このことによってかれの音楽性がマイナスに働いているとはわたしは考えたくない。ちなみに、前にふれた'SOCIAL CLUB'もじつはスポンサーへの誉め歌です。ま、いってみれば商工会議所から依頼を受けてその歩みを歌に託したようなものだろう。胸クソが悪くなる会歌や社歌なんかよりは100倍いい。
 
 ところで、ナイジェリアのハイライフを担ったミュージシャンの多くは東部出身のイボ人だった。そのため、東部のイボ人が独立を求めて67年に勃発した内戦、ビアフラ戦争でイボ出身のミュージシャンはレゴスを離れ、東部へと移り住んだ。こうしてレゴスからハイライフの灯は消え、とって代わったのがヨルバ人ミュージシャンによるジュジュやアフロビートである。
 
 70年代以降、ナイジェリア・ポピュラー音楽の主流からはずれてしまったハイライフだが、オサデベ自身はむしろイボ人たちの熱烈な支持を受けて70年代半ばに絶頂期をむかえる。ナイジェリアのレーベルPREMIERからリリースされた本盤は、ビアフラ戦争直後の、かれが上り調子にあった70年代前半にレコーディングされた音源と、たび重なるグループ分裂による危機をのり越えて復活を遂げた大ヒット曲'OSONDI OWENDI'を含む84年の音源からなる全6曲構成。
 
 オサデベの音楽は、セレスティン・ウクウに似て、ギター、ベース、パーカッションなどのシンプルな楽器編成で淡々と歌がつづられていくフワフワした音楽が特徴だったが、80年代になるとギターにワウワウ・ペダルを多用してみたり、ホーン・セクションを厚くして、また打楽器群も大幅に強化することで、よりダンサブルに進化している。しかし、最大の魅力はなんといってもナレイティブでありながら、ときどきノドをふるわせてみせるオサデベのヴォーカルであろう。あのヴィブラートを聴くたびになんか背中がゾクゾクとしてしまう。意味はわからずとも、いい気分になってミョーに納得してしまう説教の真髄がここにある!
 
 当初は70年から85年の音源を集めたアメリカ盤"SOUND TIME"を候補にあげていたが、オリジナルをコンパクトに編集し直してあると聞いて、急きょ本盤に差し替えた次第。でも、先の'OSONDI OWENDI'をはじめ、オサデベの音楽的な歩みとレパートリーを概観するうえで、とてもうまくセレクトされた好盤である。パーカッシブでメリハリの効いた音楽を期待すると肩すかしを喰らうが、このクラクラしてくるたゆたいの世界にいったんはまるとなかなか抜け出せませんぞ。
  
 ここらでひとうねり。
 
秋葉路や 花橘の茶の香り 流れも清き太田川 若鮎おどる頃となり 松の緑の色も冴え 遠州森町よい茶どこ 娘やりたやお茶摘みに ここは名代の火伏の神 秋葉神社の参道に 産声あげし快男児 昭和のみ代まで 名を残す 遠州森の石松を 不弁ながらも勤めます
 
 ああ、いい気持ち。


(5.9.03)



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by Tatsushi Tsukahara